イントロダクション
最近、Xで投稿を続けていると、多くの方からリプや引用RTを頂き、そのたびに様々なヲタクとの出会いや経験談に触れる機会があります。
アイドル現場は本当に広く、深い世界だと改めて感じています。
私自身、ヲタ芸を始めて16年、アイドルヲタクとして活動して20年が経ちました。
その間、数え切れないほどのヲタクと出会い、その数はおそらく1万人を超えるのではないかと思います。
どの出会いも印象的でしたが、特にヲタクを始めたばかりの頃に出会った衝撃的な方々は、
今でも記憶に深く刻まれています。その存在が、私のヲタク人生に大きな影響を与え、今の自分を作り上げていると感じます。今回は、その中でも「衝撃を受けた」「ヤバい」と思わず口にしてしまったような、印象深いヲタクたちを紹介します。
最近ではあまり見かけなくなったタイプの、熱量が異次元なヲタクたち。どこか懐かしさを覚える方も、きっといるのではないでしょうか。ぜひご覧ください!
劇場の上の建物を契約
自分がヲタクになり、イベントに通うようになったとき、懇意にしてもらったTさん。職場の先輩でしたが、自分がヲタクになると自然と仲良くなりました。
そのとき、聞いた話です。自分と出会う少し前にT先輩はサクラ大戦歌謡ショーに通っていたのですが、当時は関西に住んでいました。そんな先輩、とある公演はどうしても全通したかったとのことでなんと会場眼の前のマンションを1ヶ月抑えてしまったとの事。チケットも無事にゲットし、公演日は会場上から入場するヲタクを優雅に眺めていたとのこと。
週末にしかないライブとの違いはあれど、このやり方には啞然としたことを覚えています。
学ランでどこのイベントでも全力でヲタ芸
これは自分がヲタ芸を打ち、一年ぐらいが経過したときの出来事です。
当時はまだ地上イベントがほとんどでした。そんな時に参加した初めての地下アイドルとの合同イベントがありました。はじめての地下アイドルイベントはそれ自体が衝撃的でしたが、その日見たヲタ芸にはとてつもないインパクトを受けました。
高校生の学ランを着て、他にないキレのヲタ芸を長時間打つ。とくに独特のOADは今でも歴代No.1です。その後知り合いになり共にヲタ芸を打ち、今でも交流があります。
彼の逸話はそれだけで記事が1つ書けるほど。インパクトがあるヲタクです。
この時、衝撃と感銘を受けヲタ芸の虜になったことが、未だにヲタ芸を打ち続ける理由にもなっています。
イスの高さまでジャンプするヲタク
次も未だに忘れない、ヲタクの脅威の身体能力の話です。
彼は、ヲタ芸を打ち始めて間もないときに出会ったヲタクH氏です。
自分より若かったのですが、イベント経験が豊富で、一緒にイベントに参加し、立ち回り、コツなどを色々教えてくれました。知識もさることながら、共にイベントに行き、忘れられないのは脅威のジャンプを持っていた事です。
身長は自分より少し高く細身。そして手足も長い。これに合わせて脅威のジャンプ力を持っていました。そのジャンプ力は自分がヲタクをし続けて16年経過した今でもナンバー1です。今ではイベントとは無縁となっていますが、代名詞のはっぴとジャンプ力は忘れられないです。
どこでも指定席五列以内
最後は知る人ぞ知る有名ヲタクです。ヲタ芸を打ちはじめた当時、主に田村ゆかり現場と水樹奈々現場に通っていました。15年前の田村ゆかり現場は今よりも命がけのヲタクが多くまさに宗教ということばピッタリの現場でした。
そんな狂信者の中でも最強といえばピンクアフロ氏です。ヲタ芸を行うようになり動きを観察すると圧倒的な体力、特に小さなジャンプの持続性とロマンスのブレなさに驚きました。
当日体力のあるヲタクは多数いましたがその中でも群を抜いており、DVDではどこにいるかスグに分かる程でした。
指定席のゆかり現場にも関わらずだいたい五列以内には席を取っていたのを未だに覚えています。圧倒的な体力とどこの会場にでもいる存在感は今でも記憶に強く焼き付いています。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回ご紹介したのは、今ではなかなか見かけなくなったタイプのヲタクたちですが、
どれも確かに実在していた方々です。
時代の流れと共に、XなどSNSで情報が即座に共有されるようになった影響もあり、
こうした個性的なヲタクが減っているのかもしれません。
とはいえ、ヲタク文化は常に変化と進化を続けています。
これからも新しい時代ならではの「新種のヲタク」が現れることでしょう。
それを目にする日を楽しみにしながら、私自身もこの世界でヲタクとして歩み続けたいと思います。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!