ヲタク考察

ヲタク文化の進化と老害化の境界線~時代についていく方法とは?~

イントロダクション

最近老害という言葉をあまり聞かなくなりました。たまに見るのは某プロ野球のOBを見る時ぐらいです。ただひと昔前は老害が多く、特にヲタ芸界隈ではヲタ芸とはこうあるものだという人が多かった事を思い出します。

今回は、なぜ一部のヲタクが「老害」と呼ばれてしまうのか、そのプロセスを時代の進化と衝突の観点から解説します。また、どのようにして世代間の摩擦を防ぎ、共にヲタク文化を楽しんでいくことができるのかも考えてみたいと思います。

1.老害が生まれるしくみ

まずは老害になってしまう理由です。

結論としては『時代の進化と自身の経験とのギャップから生まれるジレンマ』が理由です。

ヲタク文化は日々進化しており、新しいファン層が続々と増えています。

自分の慣れ親しんだ価値観やルールに固執し、時代の変化を受け入れられない人々。

こういった方々は現場から離れるか、そこに残るかの2パターン。そして残った人で声が大きい人。発言する人が老害と呼ばれる存在になります。

個人的には昔からの長年いたファンが新しいファンとのギャップに苦しむほどその傾向は強くなると感じます。

2. 自分の時代に固執する心理

ヲタクが「老害」と化してしまう大きな要因の一つは、「自分の時代はこうだった」という感覚に固執することです。

人間は自分が熱中していた時代の価値観や文化に強い思い入れを持ちます。そのため、時代が進む中で、自分の体験したものと違うものを目の当たりにすると、違和感や不満を感じやすくなります。

例えば、ヲタク文化は80年代や90年代にアニメ、ゲーム、アイドルといったジャンルが大きく発展し、その時代に熱中していた人々は、その時代のコミュニティの結束力や特有の雰囲気を大切にしていました。

しかし、2000年代以降、SNSや動画配信サービスの普及により、情報の伝達スピードやコミュニケーションの形が大きく変わりました。こうした変化に対応できない人々は、「昔の方が良かった」と感じ、今の文化やルールに対して抵抗感を抱くようになります。

今でこそヲタクが発信することは珍しくないですが、ヲタクをしだした15年ぐらい前はヲタクとは発信するものでなく受け取る側であるという感覚が自分自身も強くありました。ですがXのスペースを行うことを皮切りに需用があると感じ行うようになりました。

この経験を通じて、変化に対する抵抗心は誰にでもあることを実感しました。

3. イベント文化の変遷と摩擦

ヲタク文化において、特にイベントのルールや運営方法の変化は、世代間での摩擦を生みやすい要素の一つです。

昔のイベントでは、ルールが緩く、自由な応援スタイルや雰囲気が特徴でした。

しかし、近年では事故やトラブルを防ぐためにルールが厳格化され、主催者側も多くの制限を設けるようになっています。

昔からイベントに参加している古参のファンにとっては、このような厳しいルールは「窮屈さ」を感じさせる要因となります。

例えば、昔は自由にヲタ芸を打っていたり、声を張り上げて応援していた屋外イベントが、今では音量や行動が制限されることが多くなりました。これに対して「昔はもっと自由だったのに」という感覚が強くなると、若い世代のファンとの間でギャップが生じやすくなります。

私もさいたまや横浜で行われているアニソンの大型ライブには足繁く参加していた時期があります。参加して数年は自由で、こんな楽しいイベントは無いと思うぐらいでしたが、年々、柵の数が増え、スタッフの数が多くなる。自由で楽しかったのがウソのように縛りが多くなり離れた経験があります。

4. SNSの普及と情報の急速な広がり

SNSの普及も、世代間の摩擦を生む大きな要因です。

昔は、情報を得るためには雑誌やコミュニティでの会話が中心でした。

令和の今、XやYouTubeを通じて瞬時に情報が広がります。これにより、ファン同士のコミュニケーションが容易になった反面、情報が溢れすぎているため、昔からのファンは「一体感が薄れた」と感じることが多いです。

特に、推しに関する情報やイベントの報告がSNSで拡散されるスピードは、古参のファンにとっては驚異的です。

自分が苦労して探した情報が、今では簡単に手に入るため、その価値が軽くなったように感じることがあります。こうした感覚が「昔の方が良かった」と感じる一因です。

自分自身、長くヲタ芸を打っていますが、打ちはじめた頃は大型イベントが多かったため、自分のヲタ芸を確認するのは半年後に発売されるDVDを待つしか手段がありませんでした。それが今ではリアルタイムでXのタイムラインでイベントの様子が確認できる。早く情報は手に入りますが、早すぎて付いていけていない方が発生するのも納得です。

5. イベントの量産化と熱量の違い

昔はイベントそのものが少なく、参加すること自体が特別な体験でした。

ですが今はチケットを簡単に手に入れ、頻繁にイベントが開催されるため、若い世代のファンにとっては「日常的なもの」として捉えられています。

古参のファンにとっては、このような状況が「熱量の違い」として感じることも。

自分たちは、少ないイベントを一つ一つ大切にしてきたのに、今のファンは「軽い気持ちで参加している」と感じてしまう人もいます。

この熱量の違いが摩擦を生み、「最近の若いもんは…」という不満に繋がりやすくなります。

6. 「老害化」の心理とプロセス

ここまでで述べたように、一部のヲタクが「老害」と化すプロセスは、基本的には自分の時代や価値観に固執し、進化に対して抵抗を感じることから始まります。

特に、「自分たちのやり方が正しい」という感覚が強まると、若い世代との間に摩擦が生じ、次第に「老害」と呼ばれるようになるのです。

人は過去の自分の成功体験や、共感を得られた時代を美化する傾向があります。

そのため、変化を受け入れられない人々は、若い世代に対して「こうあるべきだ」という固定観念を押し付けがちです。

これが、結果的に「老害」として扱われてしまう要因となります。

7. 進化を受け入れるために

「老害」と呼ばれないためには、進化を受け入れる柔軟性が必要です。

イベント現場は常に進化しており、それを否定するのではなく、常に参加し、アップデートすることが大切です。

変化を恐れるのではなく、それを楽しむ心構えが大切だと個人的には感じます。

新しい世代とのコミュニケーションを大切にし、対話を通じて互いの価値観を理解することも重要です。

自分が過去に楽しんできたことを共有しながら、新しい世代から学べることもたくさんあります。

自分自身若いヲタクと毎回現場でヲタ芸を打ち、対戦し続けたからこそいまの自分があると感じます。無理にコミュニケーションしようとするのではなく、会話はなくても一緒に楽しむだけでも良いと感じます。

8. おわりに

イベント現場は進化を続けており、その中で世代間の摩擦が起こるのは自然なことです。それに対し一人一人のやり方で受け入れ、対応することで楽しくイベント現場を楽しみ続けられると感じます。

いなくなったヲタクではなく、今目の前にいるヲタクと共に楽しむ事で楽しみ続けられると感じます。

今回も最後までご覧頂きありがとう御座いました。

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