ヲタク活動を続けていると、多かれ少なかれ「コミュニティ」というものに関わる瞬間が訪れます。
自分から強く求めていなくても、イベントに通い続けていれば自然と顔見知りが増え、
声をかけられ、気づけば何らかの輪の中にいる。そうした経験をされた方も多いのではないでしょうか。
この流れ自体は、とても自然なものです。
同じ場所に、同じ目的で、同じ熱量を持った人たちが集まれば、関係が生まれるのは避けられません。
むしろ、ヲタク活動において「人とまったく関わらずに続ける」方が難しいと言えるでしょう。
しかし、長く続けている人を観察していると、ある共通点が見えてきます。
それは、「他人にあまり興味を持っていない」という点です。
一見すると冷たく感じられるかもしれません。
けれども、これは決して人嫌いという意味ではありません。
むしろ、ヲタクとして長く生き残るための、一種のスキルのようなものだと感じています。
続けるほど、つながりは希少になっていく
ヲタク活動を始めたばかりの頃は、周囲の人が気になるものです。
誰がどんな応援をしているのか、どんな立ち回りをしているのか。
良くも悪くも「他人」が目に入りやすい時期と言えるでしょう。
ところが、活動を続けていくと、徐々に状況が変わっていきます。
イベントに通う回数が増え、経験が積み重なり、自分なりの楽しみ方が固まってくる。
すると、他人よりも「自分が何を感じたか」「どう楽しみたいか」に意識が向くようになります。
結果として、つながりは減っていきます。
というより、「無理に増やさなくなる」のです。
個人的な感覚ですが、ヲタク同士のグループが自然消滅せずに続く期間は、だいたい5年程度が一つの目安だと感じています。
これは学校生活に少し似ています。
在学中は毎日のように顔を合わせていても、卒業すれば自然と疎遠になる。
それと同じように、環境や熱量の変化によって、関係は少しずつほどけていきます。
10年単位で同じメンバー構成のまま続いているケースは、かなり稀です。
多くの場合、気づけば見かけなくなり、名前も思い出さなくなる。
それ自体は悲しいことでも、悪いことでもありません。
生き残る人は「人」より「好き」を見ている
長く楽しみ続けているヲタクを見ていると、多くの場合「人」よりも「コンテンツ」を見ています。
誰がいるか、誰が来るかよりも、「自分はこの現場が好きか」「この応援の仕方が楽しいか」
そこに判断基準を置いています。
他人に強い関心を持ちすぎると、どうしても疲れてしまいます。
比較してしまったり、期待してしまったり、裏切られたと感じたり。
人を中心に置いたヲタク活動は、感情の消耗が激しいのです。
だからこそ、結果的に生き残る人は、少しずつ「他人に興味を持たなくなっていきます」。
これは最初からできる人は少なく、多くの場合は経験を通して身についていくものです。
興味を持たない、というよりも、
「深入りしない」「必要以上に踏み込まない」
この距離感を自然と覚えていく、と言った方が正しいかもしれません。
それでも、人を切り捨てているわけではない
誤解されやすい点ですが、他人に興味を持たないヲタクは、決して人を拒絶しているわけではありません。
身近な人や、長く付き合っている人に対しては、むしろ丁寧な距離感を保つ傾向があります。
誰にでも同じ熱量を向けない代わりに、
本当に大切な人との関係は、静かに、長く続けていく。
そうした付き合い方をしている人も多いのです。
人は残念ながら、一人では生きていけません。
ヲタク活動も同様で、完全な孤立は現実的ではありません。
ただし、「広く浅く」よりも「狭く穏やかに」を選ぶ人が、生き残りやすいのだと感じています。
推し活が一般化する時代だからこそ
今後、推し活はさらに一般的なものになっていくでしょう。
年齢や立場を問わず、誰もが何かを応援する時代です。その中で必ず出てくるのが、「人間関係に疲れる」という問題です。
コンテンツ自体は好きなのに、周囲との関係でしんどくなり、離れてしまう。
これは今後、より増えていくと感じています。
そうした中で生き残るのは、
「誰といるか」ではなく
「何を、どう応援するのが好きか」
ここを大切にできる人です。
タイミングや環境によって、関係が続くこともあれば、終わることもあります。
永遠に同じ形で続くものはありません。
だからこそ、他人にあまり興味を持たないヲタクを見かけたら、
「そういうスタイルなんだな」と思えば十分です。
意外なことに、そういう人ほど、仲良くなると一緒に行動することも多いものです。
距離を保てるからこそ、信頼が生まれる。
それもまた、長く続けるための一つの形なのだと思います。
今回の記事がヲタク同士の人間関係や接し方で悩む方の参考になれば幸いです。
最後までご覧頂きありがとうございました。

