はじめに
「推し活があるから、今日も働けた」
そんな言葉に、深く共感する方は少なくないのではないでしょうか。
華やかなステージが終わり、満員の現場の後ろで、静かに帰路につく人々。
ヲタクにとって、推し活はただの趣味ではありません。
それは、生きるための“支柱”であり、日々を乗り切るための“動力”なのです。

近年こそ、推し活は市民権を得て「カジュアルな楽しみ方」として広まりましたが、少し前までは今ほどオープンではありませんでした。
どこか“アングラ”で、他人に堂々と語れるようなものではなかったのです。
だからこそ、そこに身を置く人たちは強く、静かに、そして真剣に、推し活にすべてを懸けていました。
今回は、そんな「推し活があるからこそ、働ける」というヲタクの在り方について、深掘りしていきたいと思います。
推し活=非日常が支えた“日常”
推し活とは、言うまでもなく「推し」を応援する活動です。ライブへの参加、グッズの購入、SNSでの応援、遠征…。
形は人それぞれですが、そこに共通するのは「日常とは異なる時間の尊さ」です。
仕事や学校、家庭や社会。日々の生活の中では、うまくいかないことや、ストレスが積もることもあります。
そんな時、「週末に推しのイベントがある」「あと3日で推しに会える」という事実だけで、頑張れる瞬間があります。
『この“非日常”の存在こそが、働く意味を再構築してくれるのです』と昔行動を共にしていたヲタクはよくこう言ってました。
「会社員ではあるが平日はただのバイト。週末のライブのためだけに生きている。平日は仕事は手段でありただの暇つぶし」
これは極端な言葉に聞こえるかもしれませんが、長く現場に通っている方なら、きっと一度は同じ感覚を味わったことがあるのではないでしょうか。
昔はアングラだった推し活
今でこそ、テレビでも「推し活」という言葉が当たり前のように使われ、SNSでは応援の様子をオープンにシェアできる時代になりました。
しかし、ほんの20年前を振り返ると、その風景はまったく違っていました。
アニメ、プロレス、アイドル。自分が学生の頃はこの辺りが日の目を見ることは少なく、そうしたジャンルの現場に通っていた自分は、学校や職場でその話をすることはまずありませんでした。
周りの人の中には家族にも内緒で活動していた人も多く、現場でしか会話ができない“仲間”との絆が唯一の救いであった人もいたと聞いたことがあります。
グッズを持ち歩くのも控えめに、推しの名前すらリアルでは言えない。そんな時代があったからこそ、推し活は強く“非日常”としての輝きを放っていたのです。
ステージ上の推しは、誰にも邪魔されない特別な存在。
だからこそ、「そのために今日を乗り越える」という気持ちは、より強く、より切実でした。
愚痴をこぼさず、黙々と働くヲタクたち
そうした推し活を軸に生きているヲタクたちには、ひとつの共通点があります。
仕事の愚痴をほとんど言わない。
なぜなら、仕事は手段であり、それ以上の意味を持たないからです。愚痴を吐いても現場の日は変わらないし、体力を奪われるくらいなら静かに過ごしたい。自分も現場に行きはじめた頃はとくにこの考え方が強かったと記憶しています。
ヲタクは、淡々と日常をこなし、イベントの日には全身全霊を注ぐ。その“切り替えの美学”こそが、推し活を長く、深く続けていくための姿勢でもあるのです。
周囲からは「よく働くね」「真面目だね」と思われていても、本人の中ではすべてが“イベントにベストコンディションで臨むため”という目的で繋がっています。
食事・睡眠・体調管理・スケジュール調整―。
それらすべてが「イベントに全力を出すため」とという1点を成し遂げるために構築されているのです。
推し活は“逃避”ではない
時に、推し活は「現実逃避」と揶揄されることもあります。
しかし、自分はそうは思いません。
現実があるからこそ、推し活が輝く。推し活があるからこそ、現実を前に進めることができる。この両輪がうまく噛み合っているからこそ、多くの人が今日も仕事をこなし、ステージの灯を守っているのです。
推し活とは、「頑張るための逃げ場」であり、「前に進むための原動力」でもあります。
だからこそ、胸を張っていいのです。
「推しがいたから、今日も働けた」
「イベントがあるから、明日も頑張れる」
この感覚こそが、何にも代えがたい自分だけの生き方だと、自信を持っていいのです。
おわりに
推し活がなければ、働けなかった。
推し活があったから、生きてこれた。
そんな声を、現場で、SNSで、数えきれないほど耳にしてきました。
そして今、自分自身もまた、そのひとりです。
推し活は、ただの娯楽ではありません。社会で頑張る人々の“精神的インフラ”であり、“人生の指針”であり、“小さな希望”です。

もし、日々の生活に疲れ、心が折れそうになった時は、思い出してみてください。
自分が頑張ってきたのは、推しの存在があったから。そのステージを見られるという、確かな希望があったから。
これからも、推し活が人生の灯火となるように。
そして、すべてのヲタクが誇りをもって今日を乗り越えられるように。
今回も最後までご覧頂きありがとうございました。